統一会堂はプロパガンダ?ベトナム戦争の記憶を巡る
ホーチミン旅行に出かけるならば、絶対に逃せない場所の「統一会堂」。ホーチミン市の中心に位置する左右対称な迫力のある建物です。ベトナム統一まではベトナム共和国、通称南ベトナム政府の大統領官邸として使われていました。
現在でも国際会議などで使われる会場ですが、観光客に向けても公開されています。ところが、政治的なプロパガンダとしても利用され、共産党がいかに南ベトナムの自由主義を脅威だと感じていたかを感じ取ることができます。生々しく残された戦争の記憶とともに、統一会堂の見どころをご紹介します。
そもそも統一会堂ってどんな場所?
統一会堂は元南ベトナム政府大統領官邸、そして現在では観光地兼国際会議場です。統一までの激動の歴史のメインステージといってもいいでしょう。北ベトナム軍の戦車が統一会堂に乗り込む写真は、一つの国が終わる瞬間を捉えたとして世界的にも有名になりました。
フランス領ベトナムの時に初代大統領官邸が建てられ、代々南ベトナム大統領がこの場所でその采配を振るってきました。ところが、1962年のクーデターで建物の大半が壊れ、1966年に建て直されたものが現在の姿として残っています。ベトナム戦争中は、南ベトナム軍の総司令部として様々な情報が集まる戦略の中心でもありました。
生々しく残る、戦争の記憶
統一会堂は、激動の歴史が生々しく残されていることが魅力のうちの一つです。ほぼ当時のまま残されているその建物には、被弾した爆弾の後やサイゴン(ホーチミンの昔の呼び名)陥落時に統一会堂に侵入した戦車が保存されたりしています。爆弾の後は当時のヘリパッドに残っており、戦闘が軍司令部にまで及んでいたことがわかります。
さらに興味深いのが、地下に残された作戦司令室です。左右に長い統一会堂の端から端までびっしりと部屋が並び、部屋のない場所は無機質な廊下がずっと続いています。
各部屋には最低一つ電話が置いてあり、常に情報交換が可能だったことがわかります。ある部屋には大量の通信機械が所狭しと置かれ、北ベトナム軍の通信を傍受していた部屋までそのまま残されています。大きな通信用機械はどれも精密なもので、南ベトナム軍の資金的な余裕が伺えます。
また、いくつかの部屋には戦況を記録した地図が壁いっぱいに貼られ、緊迫した状況を伺うことができます。北ベトナム軍が統一会堂のあるホーチミン(当時はサイゴン)にどんどん迫ってきているのが紙の上でも見て取ることができます。
司令官たちが最新の通信機械を使って得た情報は、すべて自軍の敗北や劣勢を伝えるものであったことが容易に想像できるでしょう。
地下の司令部は無機質で機械がたくさん置いてあり、とても不気味です。戦争時は街を攻撃する砲撃の音などが聞こえていたと想像すると、不安でたまらない気持ちになるかもしれません。
統一会堂、もう一つの役割は「プロパガンダ」?
この統一会堂は、当時の様子がそのまま残されているとても貴重な文化遺産です。当時の南ベトナム大統領や政府が保持していた豪華な装飾品は、今でも訪れた人の心を奪います。
ところが、共産主義国家にとって贅沢は禁物です。つまり、南ベトナム政府の豪華な持ち物は共産主義の敵なのです。全てが生々しく残っている現在、豪華で艶やかな装飾品なども当時のまま残してあると言われています。
共産党政権にとって、先の戦争を正当化するためには、南ベトナム政府がどれだけ腐敗していたかを国民に見せなければならなかったのです。そのために統一会堂は利用され、北側に不利になる情報は破棄し、それ以外のものをそのまま残しているのです。
統一会堂にある解説にも北ベトナムの戦争における正当性を説くものがたくさんあります。歴史的な流れや南ベトナム政府についての実態に関する知識を持っていれば、統一会堂のいたるところにプロパガンダが仕込まれていることに気づくでしょう。
まとめ
ホーチミン有数の観光地、統一会堂の魅力と、その政治的役割をご紹介しました。
統一会堂に残された戦争の遺跡は、生々しく見えるように残されているのか、はたまた本当にそのままの形で現状維持してあるのか、それを自らの目で確かめに行くのも興味深いかもしれません。