シェムリアップの原点の世界遺産「ロリュオス遺跡群」
シェムリアップの遺跡といえば、アンコールワットやアンコールトムなどのアンコール遺跡群が有名です。しかし、それらの原点となった遺跡があることをご存知でしょうか?それが「ロリュオス遺跡群」と呼ばれている古の都。ここでは、アンコールワットよりも歴史の古い遺跡の数々が眠る、「ロリュオス遺跡群」の魅力についてご案内いたします。
パブストリートからトゥクトゥクで40分
「ロリュオス遺跡群」は、シェムリアップの街から南東に約15kmほど離れたところにある観光エリア。トゥクトゥクで40分ほどの距離に位置していますが、アンコールワットやトムとは別方向なので、半日ほど時間をかけてロリュオス遺跡を回る日程を組むといいでしょう。
「ロリュオス遺跡群」とは?
「ロリュオス遺跡群」は、8世紀末から9世紀にかけて栄えた王都ハリハラーラヤの遺跡群。いくつもの貴重な遺跡によって構成されています。「ハリハラ」というのは、ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌとシヴァの合体神のことを意味しています。
この地域は今では小さな村になっていますが、アンコール朝の創始者であるジャヤヴァルマン2世が最後に暮らした土地でした。そして、その孫であるインドラヴァルマン1世が、ここを王都と定めたのです。
その後、治水の問題で、現在のアンコール地方へと遷都しました。
この遺跡群はアンコールワットやアンコールトムに比べると地味な印象がありますが、アンコール朝初期の都で、それらの原点ともいわれている遺跡群。つまり、歴史的にとても重要な意味を持ったエリアなのです。
先祖の供養のために建てられた寺院「プリアコー」
「プリア・コー」とは、「聖なる牛」という意味を持つ寺院。879年に、アンコール王朝の創始者・ジャヤヴァルマン2世の供養のために、インドラヴァルマン1世によって建てたものです。
中央伽藍にはジャヤヴァルマン2世、その両側の塔にはジャヤヴァルマン2世の先祖が祀られています。アンコール朝で、先祖の供養をするために作られた最初の寺院なのだとか。これ以降の王たちも、同様の目的で寺院の建造をするようになりました。
寺院の名前の由来にもなっている聖牛ナンディが、祠堂を向いて置かれ、祠堂の入り口には獅子が左右に並んでいます。獅子のたてがみが長く胴が短いのですが、これは古い様式のものなのだとか。
この寺院はレンガで造られて、そのうえから漆喰で飾られていました。今では一部だけしか残されていませんが、もともとは真っ白な建物だったとのこと。繊細に彫り込まれたレリーフもこの遺跡の見どころのひとつ。
アンコールワットの原型といわれる寺院「バコン」
「ロリュオス遺跡群」のなかでも、最大規模を誇る寺院「バコン」。881年に、インドラヴァルマン1世がシヴァ神を祀るために建立されたもので、アンコール・ワットの原型ともいわれている遺跡です。
その特徴は、5層の基壇からなるピラミッド型のヒンドゥー教寺院であること。このようなタイプとしては、カンボジアで最初に作られた寺院なのだとか。
東西に約900m、南北に約700mの敷地のなか、中央祠堂を中心として、2つの環濠と3重の周壁に囲まれた構造。けれども現在は、周壁は崩れてなくなり、外側の環濠のあとが部分的にみられるのみです。
ちなみに、このピラミッド式の構造は、インドネシアにある世界遺産・ボロブドゥール遺跡と類似する点があることから、当時、ジャワ島とカンボジアとのあいだには交流があったのではないかと考えられています。
ヒンドゥー教の壮大な世界観を表現「ロレイ」
「ロレイ」は、ロリュオス遺跡群のなかでは一番新しいヒンドゥー教寺院。プリア・コーやバコンを建立したインドラヴァルマン1世とその后を祀るために、893年、息子であるヤショーヴァルマン1世が建造したものです。
この寺院は、インドラヴァルマン1世が造った大きな貯水池の中央島に築かれました。現在では水が枯れていますが、東西3.8km南北800mという巨大な貯水池だったそうで、王の名前をとって、インドラタータカと呼ばれていました。
中央の島に建てられた寺院は、世界の海に囲まれた神々が住む聖域・須弥山を象徴しているのだとか。クメール王朝の歴代の王たちは、ヒンドゥー教の壮大な宇宙観をもとにして、多くの寺院を建設したそう。
現在では、敷地内に仏教寺院と僧院が建っています。
まとめ
アンコール遺跡の原点ともいわれている「ロリュオス遺跡群」。そのなかの「プリア・コー」や「バコン」、「ロレイ」といった主要な遺跡もご紹介しました。是非歴史の源流にある原型を確かめてみてください。きっと、シェムリアップでの遺跡観光がさらに充実したものになることかと思います。
観光情報
ロリュオス遺跡 Roluos
住所:Roluos.Siem Reap
アクセス:パブストリートからトゥクトゥクで40分